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八甲田山死の彷徨/感想・書評&あらすじ・実際の遭難事件をもとに書かれた新田次郎氏の小説…ネタバレ注意。


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寄稿頂きました。

八甲田山死の彷徨

進歩や繁栄とは、大いなる犠牲の上に成り立つ。
そのことを如実に印象付けたのが、明治35年に起きた「八甲田山雪中行軍遭難事件」であったと思います。
日露戦争勃発の火種が燻っていた当時、陸軍の青森歩兵第五連隊と弘前歩兵第三十一連隊は、極寒の大陸での行軍を想定した、雪中行軍訓練を立案します。
小隊編成で迂回路の行軍を計画した徳島大尉率いる三十一連隊、中隊編成で八甲田を一気に攻め、踏破を試みる、神田大尉率いる五連隊。しかし、行軍開始間もなく、五連隊の指揮権は、随伴の山田少佐に移譲を許してしまう。このことが二つの行軍隊の明暗を分けることに・・・

二百名以上の犠牲者を出した実際の遭難事件をもとに書かれた新田次郎氏の小説です。
山岳遭難の規模としては最大となってしまったこの事件、維新から三十余年、独立国家として産声を上げたばかりの日本が、世界に追いつけの一心で富国強兵に励んでいた最中に起きました。
しかし、この試みは、敵国の情報収集を軽視し、ある意味怠った太平洋戦争時と違い、先ず敵を知る、という真摯な思いから実施されたものでした。多大の犠牲はその後の日露戦争に大いに役立ち、戦勝した
日本は、世界の一等国に列せられることとなります。
先ず思うこと。情報とは如何なる時に於いても最大重要事項であり、事の基本を成すということです。
身軽な小規模編成で、雪山の天候、地理にも詳しい地元の民間人を案内人に立て、慎重を旨とした三十一連隊と、冬の八甲田を熟知できておらず、軍の威容を第一に雪山に乗り込んだ五連隊。この差はまさに「知る」ことの差にあったように思えます。